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blue as blue can be

 あのときの空は本当にきれいだった。もう1年以上経ってしまったけど、そのときの空は今も胸にはっきり残ってる。その空を見ながら、にいちゃんは「おれ、blue as blue can beって言葉が好きなんだ。」って言った。わたしもその空を見ながら、その言葉を聴いたからその言葉が好きになった。だって、ほんとにぴったりだったから。空は本当にきれいな水色で、空と雲が一直線に割れていて、そして果てしない。

 地平線は、大地の果てが空と接するようにみえる線だけど、この雲の果てが空と接するようにみえる線はなんて呼べばいいんだろう。わたしはその空をみながら考えた。そして、勝手にその線を“天空線”と呼ぶことにした。恥ずかしいから、となりの席のにいちゃんには言わなかった。本当に一本の線を境に空と雲が分かれているのだ。しかも、ただの空と雲じゃない。澄みきった水色の空と真っ白な雲。

 ずっと見ていると、その雲は少しずつ変化していった。平らだった雲がだんだん細かくなっていって、ずっと下に今度は真っ青な海が見えた。雲の層の下に雲の層。そして、また雲の層。そのひとつひとつの層が違うスピードで流れていく。天国みたい、と思った。死んだらきっと人の心はこんな穏やかなところに行くことができるんじゃないかと思えたのだ。とにかくきれいのひと言だった。

 太陽が東から射して、雲の様子をまたちがって写していく。澄んだ水色のキャンパスに、淡いオレンジがのっていた絵筆をちょこっとつけてしまった感じ。太陽の光がつよくあたっているときと、光が遠ざかったときでは、同じ雲でも全然違う顔になる。まるで人の人生みだいだな。でも、光が遠ざかったときが決してむなしい光景だったわけじゃない。そのときの雲は、本当にかすかな光によって照らされているだけなのに、でも深く存在感があって見ていて心地よかった。

 日がおちてくると、もっとたくさんの絵の具が、大きな空のキャンパスに広がっていった。雲の淡いブルー、日の光が雲際に光るオレンジ、そして、雲のコバルトブルー。しかも、美術の時間に苦労して塗った木の葉の一枚一枚のように、その一色一色が微妙に異なった色をしているのだ。こんなにきれいな色を描くには、本当にたくさんの絵の具がいるなぁ、そんなことを考えてしまう。

 でも、今でも、その空の光景はすぐ浮かぶから、きっとわたしの心の中でその空の絵はだいぶ完成しているんじゃないかと思う。見とれて長い時間見ていたからなぁ。

 この空のように、旅のときに感じたことは、わたしの記憶にいっぱい残ってる。それを旅日記帳を見ながら、もう一度鮮明に思い出したい。
 
asuka * 旅をおもう。 * 00:53 * comments(0) * trackbacks(0)

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